こんばんは。
今日はTwitterで公開しているTwitterでこんな質問をいただきました。

私もずっと自分に自信を持てずにいました。
幼少期は貧困世帯、新興宗教とオーガニック主義の母親のもと
普通の子がするようなオシャレや美容室も何も知らずに育ちました。
学生になってお金を稼いでも経験がない分興味はもてませんでしたし、
他の人がオシャレやお化粧をしている姿を見ても自分とは違う世界と思っていました。
自分は気がつけば歳をとる一方。周りを見渡せばみんな容姿抜群、体型もセンスも完璧。
洋服とお化粧にお金をかけて、持ち物はセンスが良く自信に満ち溢れた顔で外を歩いている。
それに比べて自分はどうだ。
稼いだお金は全て飲み食いや無駄遣いに費やして、
服はいつもよくわからないまま買ったものばかりで
体型を隠すのに必死なデザインばっかり。
服を買うこと自体が金銭的にも精神的にもきつかったです。
訳がわからないものにお金を払うってすごい嫌ですよね。
楽しくないし、他のことに使いたいし。
でも周りの子のように自信を持って生きるのには同じものが必要な気がして
とにかく化粧を勉強して、無難なファッションを見つけて
ひたすらひたすら意味のわからないことをしてきました。
私は先ほど書いた通り、服も化粧も興味ないし、外の世界は可愛い子しか生きていけないと思っていました。
でも実際は違うと思います。
本屋で売っている本の表紙に写っている人やテレビに映っている人はあくまで
”それ”を売りにしている人であって、それが大衆的なものという理由にはなりません。
そうとなると質問者さんが親御さんから化粧を勧められる理由が”女らしさ”ならば、その”女らしさ”を守る必要はどこにあるのでしょうか?
服を買ったり化粧をするのはそれらを肯定させるためなのでしょうか?
違うと思います。
あくまで服や化粧は自分を楽しくさせるものであって、無理やりやるものではないと思います。
服と化粧は一つの自己表現だと思います。
自分が楽しいと思わなければどんなものを身につけても意味がありません。
質問者さんがもしオシャレをしたい、もっと自分に自信を持ちたいと思うのでしたら、
自分をもっと許して、自由になんでも楽しんでみていいと思います。
質問からは、今はADHDである事と鬱を患っていて
親にオシャレをしないことを怒られつつも選んでもらった服に身を包む
そんな自分に対する自己嫌悪が感じられるような気がします。
鏡に映る質問者さんが全てではありません。絶対に。
私も鏡に映るところだけ見るとデブで何をしたいのかわからない青春を無駄にしている23歳にしか見えません。
でも実際は自分がこの人生で何をしたいのか考えながら
洋服や化粧で自分がどう変われるのか楽しんでいる23歳です。
裁縫だって最初から上手だったわけではありません。
ものを作り上げるのが楽しくて、失敗して借金を背負いましたが
それが今私の糧となっているんです。
洋服も選びかたがわからないので雑誌の真似をしたり、人に聞いたり、
髪型も何が似合うかわからないから一度丸刈りにしたり・・・極端!
でも人生どんな経験が後々生きるかなんて本当にわからないと思います。
今ネガティブにしか思えなくっても、未来はポジティブに溢れているかもしれません。
そんな未来に胸を膨らませて生きていくのも、また人生だと思います。
いろいろと疲れますよね。外の世界って。
家に帰ると静かで落ち着いて、つい閉じこもっちゃいますよね。
でもそれでもいいと思います。外が好きな人もいれば嫌いな人もいる。
遊びたいところに行きにくいなど事情はあるかもしれませんが、
外ってそんなに遠くて疲れる場所だけじゃないということを
何処かのタイミングで見つけられればいいんです。
良くも悪くも自分の人生。
自分の人生は自分が中心なんです。
そう思いながら今日も生きていきましょう!
(法律の範囲でね!)
私が少し自分に対して自信をなくし始めた時にしていることがあります。
SNSで #i_love_myself って検索するんです。
そうすると世界中のいろんな人種、体型、容姿の人が自分が大好きなんだ!って写真が見れます。
自分の事を心から愛している人って、見ていて元気をもらえます。
私は回答が下手くそですぐ話が逸れて根本的なお返事になっていないかもしれませんが、わたしは質問者さんの投稿がとても嬉しかったです。
とっても勇気をもらえました。
これからまだ大変なことがたくさんあると思いますが、
自分のできることをできる範囲で、色々と経験してみようと思います。
それではおやすみなさい。