日曜日 , 6月 7 2020
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【ADHD】言葉の取捨選択が下手だから会話が怖い

こんにちは。珍しく午前中に起きたHulaです。

かなり前からTwitterをやっていてよく感じることがあります。

人を褒めたり尊敬したり寄り添ったりする言葉って、ついつい比較的な話し方をしてしまうのですが、それは果たして正しいのか。はたまた考えすぎなのか。

例えば、絵がうまい友達に対して1度は「上手!」と伝えることはあると思いますが、

もしその友達が頻繁に絵を描いていてわたしがその全てに感動した時。

「相変わらず上手だね」と伝えると、なんだかその人が絵を描く労力や上手になる過程をまるで軽んじてるように感じます。

「今回も上手だね」と言い換えるとなんか冷めた感じが。

子育てをしてる方のツイートで「娘がすぐに寝ついてくれた!」という内容に対して

「よかったですね」だと、『何が?子供が理想通りに動いてくれたから?楽できてよかったの?』

それとも『今日は何事もなくて良かったですね?』

どの立場の話だこれ…。

もともと衝動的に話して人を傷つけやすいわたしなので普段は言葉の選び方を気をつけているのですが、

ふとした時に自分の言葉がもし違う方向に捉えられてたらどうしよう。という不安に駆られます。

もちろん素直に「上手だね」「よかったね」を特に裏ではなく表を解釈してもらえるのが1番ですが、

言葉はなにかと受け取り手次第だからなぁって。

傷つけるつもりがなかったのに「それってどういうことですか?」と言われた時の心臓の痛さが凄い怖いです。

Twitterなんてキーボードで入力しただけの言葉しか伝わらないので特に。

この頃Twitterの発達障害に関する話題で

“発達障害であるというのは免罪符ではない”

という話をちょいちょい聞くのですが、その代表例が話し言葉の選択ミスでした。ミスというか、意図的というか、無意識というか。

ただ無意識で障害だからといってなんでもかんでも許されるわけではない。というのはわたしも理解できるので、なおさら自分の言葉選びが気になります。

それこそ「よかったね」はあくまで自分の主観の褒め言葉なので、人によっては悲しいツイートに対して励ましの気持ちでいうこともあれば自分としては本当によかったと思ったから言ったのかもしれませんし。

その度に「わたしはそう思わない」と反論されて「ごめんなさい」という流れが適切なのか、この人は良かれと思っていってくれたから悪気はないんだな。とスルーするのか。

でもその選択をするのも受け取り手の自由。

言葉の取捨選択が苦手と自覚してから本を読んだり人とトラブルになりながら学んできましたが未だに分からないことだらけです。

更新する気力の根源になります(´・ω・`)
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