ただでさえ勉強しなきゃいけないけど息抜きに絵を描きたくなったから前回の絵を改造。
ここ連日たくさんのフォロワーさんにみっちりと解き方や考え方を教えていただいているおかげで
少しずつですが問題文が何を言いたいのか分かって来た。
学生時代先生に言われた「国語ができる人はどん勉強もできる」って意味を今更噛みしめてる。
その先生が考えた言葉じゃないだろうけどそうやって言われ続ける言葉は真理なんだろうなぁ。
英語は単語と文法のルールがわかれば大体問題ないし、試験を意識品ならある程度でたらめでも通じるからそこまで気にしてなかったけど
数学ばっかりはしっかりとなぜそうなるのかを理解した上で規則性やルールに則って計算する上に
突然「大きい数字だと難しいから省略してもいいよ」とか気を使い始めるから最悪。
分母を消したいから同じ数字を両端にかけるといいよ!とか言いたいことはわかるけど
なぜ分母を消すのに突然沸いた数字をかけても問題ないんだよ…。としか言いようがない。
これもきっと理由があるんだろうけどそこまで深く学ぶ時間はないので「そう言うもの」として今は理解するしかない。
昔通っていた塾にいた幼児向けに英会話の先生をしていた人が
「意味は後から知ればいい。1番大切なのは触れて慣れること。」と言っていたのが身に染みてわかる。
そしてこの間ついに気がついたことがある。
わたしはなんで公式というものが存在するのか分かってなかった。
因数分解をするときに4通りの公式(符号を変えるだけだから実際は2通り?)を覚えられないから
わざわざたすき掛けを1から勉強して因数分解の方法を覚えた。
展開のやり方は分かっていたけど、因数分解の「足してx、掛けてyになる数字」とかいうややこしい考え方が
理解はできてもいざ使おうとするとわからないので、それをしっかりと視覚化するたすき掛けは凄い良かった。
でも実際それをいちいちしていたら時間がかかる。特に因数分解は求める最中に使われる手段というのにも気がついていなかった。
なら公式を使ったらすぐに答えがわかるというのが本来授業で学ぶことなんだろうけど
わたしはそんな授業に参加していないし、「公式を使う」というのはふわっとした表現にしか聞こえなかった。
そしてまんまと最後に符号をつけ間違えてわざわざといた問題を外す。
何故符号を間違えたのかも気がつけないから一生解けないし、兄に「いや、こうなるもの」と。
ずっと公式が何かわかっていなかった上に問題が理解でききないわたしが1番困っていたのは
「自分が求めた数字が何を指すものなのか分からない」というところなのである。
面積、長さ、確率、速さ、いろいろ文章問題では問われるから単位はわかる。
だけど計算式をいざ立ててもその計算のどこが何にあたり、求められた数字が何なのかわからないのである。
先月の人数から今月の子供の人数を割り出したい。どこからどこを?と言う感じ。
「仮に分からない数字をxと置く。」いやおくな。分からなくなる。
最後にx=??となればそれが答えなのはわかるけど、高卒程度だと連立方程式のようにさらに他のわからない式に代入をしてと忙しい。
わたしの短期記憶ではさっき求めた数字が何を示すのかなんて覚えていられない。
メモをしても。
だから単純な計算は大好きだし、せいぜい2度の計算までなら耐えられるけどそれ以上は無理。運である。
今言った中の説明は間違えている可能性の方が高いけどとりあえずもう良い。
そもそもわたしはインプットしたものをアウトプットするのが苦手だから、どんなに正しく理解していても違うことを言う自信がある。
考えを言語化なんて魔法をつかうのと同じような難易度だから。
ブログを書くのが好きなのは今思ったことをぱぱっと書いて良いことと、間違えていても後で直せるから。
試験みたいに間違えたら落ちて終わりのようなものじゃないから好きなだけで
アウトプットをするというのは人に丸付けをされている気持ちになるから怖いのである。
あー早くゲームしたい。ゲームして1日過ごしたい。早く痩せて可愛い服着たい。
コロナが終わったらやりたいことをリストアップして来る日を待ち構えよう。
それでは勉強してきます。