木曜日 , 10月 18 2018
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障害者の映画と差別について考えてみた

※ちょーっと過激かもしれませんし、途中で話を投げ出しました※
あくまで私の意見として受け取ってください。

この間母親とCMをみてからずっと観たかった映画を観て来ました。

Greatest Showmanというミュージカル映画です。
テーマが直接的なものかわかりませんが差別をテーマにしたものです。
主に身体的な障害が多いですが、
アルビノやシャム双生児、女性なのに髭だらけの人
巨漢、混血など、見た目が違うということから
迫害されていた人たちが、サーカスという居場所をみつける話です。

最初わたしがこの映画を観たときに感じたのが
挿入歌「This is me」という虐げられた人たちが歌いながら行進をする
「これが(ありのままの)わたしだ」という歌です。
この歌を歌うとき、障害をよく捉えようという根性論のようなポジティブ理論ではなく
「これが私というものである」と、見た目が違うだけで
1人の人間であり、人権が存在し、恥じるべきことではないと力強く歌っている姿が
とっても心に響きました。

わたしは障害といっても発達障害な「見た目ではわからない」という
逆の問題を抱えていますが、実際障害があるということで
”普通と違う”という意識をどうしても抱いてしまうところがあるので
そういったときに「でも障害があるし」と言い訳する自分を「でもそれがあなたでしょ?」と
言えるような社会になれたらなんて素敵なんだろうな、っておもいます。

話は変わりますが、逆に心配していることがあります。
障害は確かに差別の対象にあるべきではないと思いますが
社会がいう「障害者差別」が、当事者からするとちょっと見当違いな方向に進んでいる気もします。

発達障害の認定が降りて1年の私がいうと「たかが1年坊主のくせに」と思われる方もいるでしょうが
私はあくまで経験年数が当事者としての意見の強さではないと思っているので書きます。

私が思う差別というのは、私の場合見た目ではわからない体調不良や支持の理解しきれないところなど
脳の構造が基本的に違う時点で及ばないところがあるのに対して「なんでできないの?」という否定的な見方や
「障害者だから〜」といった見方をするのが差別的であると思っています。

障害者という表記を”障がい者”にしたりするのは差別解消のなんの役にも立たないと思っています。

では私が思う、求められる結果というのは過程を飛んでいってしまうと
障害の人ができないことを障害があるからできないのではなく
”その人ができないこと”として受け止めてくれる社会です。

よく発達障害は落語でいう”与太話”そのもので、昔から案外そういう人がいたというのが言われていますが
じゃあなぜそういう人が生きてこられたかって、昔は分業制が当たり前の仕組みでした。
餅は餅屋というシステムがあったからこそ、そういった人も自分の特技を見つけて生きてこられたんだと思います。

今は逆で、できることを仕事にではなく、できないことをできるように、が当たり前になっているので
言い方をかえると”障害者を持て余している”ような気もします。

確かにできないことはあるけれど、できることもたくさんあるんです。
それを生かして生きていければ障害者の低賃金問題や差別問題も次第に消えると思うんです。

それと同時に差別について思うのが、ちょっと前に目にした記事です。

誰が小人症を殺したか

衝撃的な文書でクリックした先にあったのは、小人症という障害がありながらも働く人を
「みせものだ」「差別だ」と行動した末に仕事を失った人たちのことです。

実際サーカスなどを昔の表現で言うと「見世物小屋」といったものになるので
それを障害で人寄せするのは道徳的にどうなんだ?ということで今じゃありませんが
割と昔から障害があるが生活している人はいるんです。
それが悪い方向に進むと本来の目的を見失うことになるというのが書かれていました。
そりゃ嫌な人を無理やりやるのはいけませんが、それが糧になる場合もあります。

海外の有名な方でいうと、スターウォーズのR2D2役を演じたケニー・ベイカーという方です。
身長が小さいことを生かし小さい機械の役を演じましたが、それを「小人症への差別」と訴えられました。
そのとき真っ先に反論したのは当の本人であるケニー・ベイカーさんでした。
その方は自分の小さい身長を長所と捉え、小さい機械の中に入って演じる役を
俳優として引き受けましたが、それが社会から「小人症への差別だ」といわれてしまいました。
障害とは、強みにしてはいけないものなのでしょうか?

長くなったのでもう閉めます笑

私自身、幼少期に発達障害のグレーゾーンと言われつつ認定されずに育ったので
実際に社会的に障害者となったのは去年になるの分、
障害者というみられ方がどう言うものか今まで知らずに育っていました。
ですが実際にヘルプマークや障害者手帳を使用してみたり
友人に障害を打ち明けてみて、誰しもが好意的に受け取ってくれたわけではなかったのをみて
「なんで障害をもっとラフに受け止めてくれないんだろうな」って思ってしまいました。

誰にだって得意不得意はあるはずで、私の場合は耳から言われた事を忘れやすかったり
注意力が散漫という形で出たわけで、字を書くのが苦手な人もいれば
走るのが苦手な人もいて、人前で話すのが苦手な人もいれば電車の揺れが苦手な人もいる
色々な苦手があるはずなんです。
でも逆に必ず人には何かしら得意もあると思います。もちろんまだ気がついていないものも。
ならその得意を力にして生きていければ一番いい形になれると思います。

あえて特別扱いする必要もないし、あえて優遇する必要もない。

なんか疲れたので寝ます(´・ω・`)

完璧なテクノロジーが日常生活に早く到来するといいなー。

更新する気力の根源になります(´・ω・`)
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